日本はひとつになろうとしていた
「復興支援」の名のもとに日本各地でボランティアが始まり
僕の住む街にも避難されて来た方々が住み始めた
個人的にもバンドでも
規模は小さいながらも活動する場を探し
そして作った
それは今も続けているし継続するつもりだ
林田圭子さんの名前を聞いたのは高橋まことさんからだ
二人の経緯は詳しく知らないが一通のメールを読んだ
そして彼女がハーモニカ奏者であることも知った
麻布十番でのボランティア ライブが終わり
O-WEST でのボランティア 企画の打ち合わせの最中に彼女は僕の住む街までやって来た
まことさん仕切りで話を進めたほうが筋も通るし説得力もあると思ったが
話を聞いていると現地でのリアリティのある話は僕の知らない情報も多くあり
バンドでできることをイメージさせてくれた
復興支援そのもの
そこに付随する原発を含めたエネルギー問題
さらにそこから広がる核保有国を中心とした外交勢力図
脱原発のための段階の踏み方
二人はほぼ同じ考えを持っていた
それは今でも基本的に変わらないと信じている
当初、一曲だけのゲスト参加で
という話を聞いていたが
ボランティア ライブの意味を考慮すると
賑やかし的であまり意味を感じないと思いメンバーに相談した
みんな、こころよく賛同してくれた
企画会議に「De+LAX with 林田圭子」で参加する旨を伝え
8月に初めて同じステージに立つことになった
彼女は「ALIVE」という売り上げ金を全て寄付金に充てるアルバムを持参した
それとは別に僕は別プロジェクトを進行させており
「LOVE & PEACE」という曲を書いていた
実務的なボランティア活動とともに
自分なりのメッセージを小さくても
自分のテリトリーで伝えていきたかったのだ
後にそのプロジェクトは形を変え
THE VACATIONS になる。
最初からドラムのSUU君は4月には名古屋に帰ることが決定していたが
ギリギリまで演ろうと誓い合った
THE VACATIONSは曲を創り続けた
そして本当に小さな存在だが
等身大の自分達に忠実に
コンスタントに活動を続けている
「LOVE & PEACE」という大義があれば細かなことは二の次
4人はそう思っていたはずだ
それが小さな気持ちのすれ違いや
音楽のバックボーンの違いからか
少しづつバンドのバランスを蝕んでいったのかもしれない
SUU君が名古屋に帰った
誰も「さよなら」は言っていないと思う
そして昨夜、林田さんがバンドを去った
そこに至るまでの過程はいろいろあるが
バンドの大義とは無関係な話だ
3人で電話した後の彼女の対応は早かった
ブログで脱退を発表したのも人から聞いた
「お世話になりました」
と連絡をいただいた直後に書き込んだのだろう
リー君には彼なりの思いもあるだろう
一日経ち僕が思うのは
ハーモニカという楽器を理解しきれなかったということだ
ソロ楽器としてしか解釈できなかった
コード進行より感性で鳴らす楽器だということも教えていただくまで分からなかった
いや、今も完全には理解できていない
僕にもっと寛容な心があれば良かったのかな
この先の彼女の活動にも期待しているし
温かい目で見守っていくつもりだ
僕等も彼女に負けないような音楽活動をしていきたい
「林田さん、ありがとうございました。
お互いに LOVE & PEACE の精神を忘れずに活動を続けていきましょう。」
「さよなら」は云いません
☆鈴木正美☆
Sin / Nine Inch Nails / And All That Could ....